[ 2010年11月16日 ]

ケビン・ジョンソン(Kevin Johnson)



<2010/11/16更新>
ケビン・ジョンソン(Kevin Maurice Johnson、1966年3月4日-)はカリフォルニア州サクラメント出身のNBAの元バスケットボール選手。ポジションはポイントガード。ニックネームは「KJ」。フェニックスサンズの背番号7の永久欠番である。



<経歴>
高校に在学中、メジャーリーグのオークランド・アスレチックスに投手としてドラフトを受けるが断り、1987年のNBAドラフトでクリーブランド・キャバリアーズに全体7位で指名され入団。キャバリアーズは前年に有望なPGとしてマーク・プライスを獲得していたが、プライスが期待通りの活躍を出来なかったためプライスの奮起という意味も期待して、ライバルPGとしてKJを獲得した。この方針が功を奏しプライスはレギュラーに定着する。そのため1988年2月28日、ジョンソンとチームメートのマーク・ウェストは当時低迷中のフェニックス・サンズにトレードされた。サンズにおいてKJは一年目からスターターとして活躍を見せた。(後に二人はドリームチームⅡでチームメートとして再会する)  1988-89シーズンから3年連続で平均20得点、10アシストというPGとしては屈指の数字を記録。リーグで最も攻撃力の高いPGとしてサンズの中心で活躍。3度NBAオールスターゲームに出場した。また毎年プレイオフに出場し、バークリー加入後の1993年のNBAファイナルではマイケル・ジョーダン率いるシカゴ・ブルズを勝率で上回るNBA1位の成績でホームコートアドバンテージを得てブルズと激突。KJはマイケルジョーダンともマッチアップする。結果2勝4敗で敗退。

その後のシーズンは怪我が目立つようになり、期待されたサンズもKJを筆頭に、チャールズ・バークレー、ダニー・マニングなど中心戦力が万全の体勢で揃うことが少なく二度とファイナルへ進出する事がかなわなかった。そのままジョンソンは1996年-1997年シーズンの終了後に引退を表明した。

しかし、1997年-1998年のシーズンに窮地のサンズを救うために復帰し、サンズの13連勝とキャリア最後のプレイオフ進出権の確保に貢献した。プレイオフでは三試合連続40得点など爆発したが、結局チームは敗退、直後に再度引退した。

1999年-2000年のシーズン終盤、ジョンソンの後継者として期待されたジェイソン・キッドが膝を骨折し、欠場を余儀なくされると、サンズ球団社長のジェリー・コランジェロは引退していたKJに急遽復帰要請をし、再び現役復帰を果たし、プレイオフでは控えのガードとして出場しチームを助けた。プレイオフ終了後最後の引退をした。

2001年、フェニックス・サンズ対サクラメント・キングス戦で彼の7番を永久欠番とするセレモニーが行われた。この試合は、キングスが勝っている。



<プレースタイル>
学生時代はスピードスケートでも有名な選手であり、MLBにもドラフトされた経歴が示す通りアスリートとして高い身体能力を持ち、ドライブインからの得点やアシストで突進力のあるプレイを度々見せ、時にはゴール下のビッグマンを吹き飛ばすようなスラムダンクで観客を沸かせることで有名だった。  一試合平均20得点10アシストというPGとしての理想的な攻撃力を示すと言われる指標を3シーズン連続で記録した(他に19得点10アシスト以上を1度、20得点9アシスト以上が2度記録している)この平均20得点10アシストという指標はNBAの歴代でもKJを除いてオスカー・ロバートソン、ネイト・アーチボルト、マジック・ジョンソン、アイザイア・トーマス、ティム・ハーダウェイ、クリス・ポールの6人しか記録していない高度な指標であるため、PG史上でも屈指のオフェンス能力を持っていたことが伺える。    特に上記の高い攻撃力の選手達の中でも、マジック・ジョンソンを例外とすれば、185cmの小柄な身体でダンクシュートを常時見せていたのはKJのみである。その中で非常に名高いプレイとして、当時ブロックショット王のアキーム・オラジュワンを飛び越え、ファールを受けながらのダンクや、同じくセンターのホットロッド・ウィリアムスを飛び越えてダンクしそのまま背中に負ぶさってしまったプレイなどが現役時代の名シーンとしてよく取り上げられる。


アシスト能力やボールハンドリングでもトップレベルのスキルを持ち、司令塔としても評価されていたが、唯一3Pシュートの成功率が悪かった。しかし96年には.441と飛躍的な向上を見せた。スティールやフリースローでも毎年優秀な数字を残しドリームチームIIにも選出された。


<成績>

シーズン チーム G GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG TO PPG
1987–88 CLE 52 3 20.1 46.0% 22.2% 82.1% 1.4 3.7 1.2 0.3 1.6 7.3
1987–88 PHO 28 125 31.2 46.3% 20.0% 85.9% 4.3 8.7 1.5 0.3 2.3 12.6
1988–89 PHO 81 81 39.2 50.5% 9.1% 88.2% 4.2 12.2 1.7 0.3 4.0 20.4
1989–90 PHO 74 74 37.4 49.9% 19.5% 83.8% 3.6 11.4 1.3 0.2 3.6 22.5
1990–91 PHO 77 76 36.0 51.6% 20.5% 84.3% 3.5 10.1 2.1 0.1 3.5 22.2
1991–92 PHO 78 78 37.2 47.9% 21.7% 80.7% 3.7 10.7 1.5 0.3 3.5 19.7
1992–93 PHO 49 47 33.5 49.9% 12.5% 81.9% 2.1 7.8 1.7 0.4 3.1 16.1
1993–94 PHO 67 67 36.6 48.7% 22.2% 81.9% 2.5 9.5 1.9 0.2 3.5 20.0
1994–95 PHO 47 35 28.8 47.0% 15.4% 81.0% 2.4 7.7 1.0 0.4 2.2 15.5
1995–96 PHO 56 55 35.8 50.7% 36.8% 85.9% 3.9 9.2 1.5 0.2 3.0 18.7
1996–97 PHO 70 70 38.0 49.6% 44.1% 85.2% 3.6 9.3 1.5 0.2 3.1 20.1
1997–98 PHO 50 12 25.8 44.7% 15.4% 87.1% 3.3 4.9 0.5 0.2 2.0 9.5
1999–00 PHO 6 0 18.8 57.1% .1.000 .1.000 2.7 4.0 0.3 0.0 1.2 6.7
キャリア   735 623 34.1 49.3% 30.5% 84.1% 3.3 9.1 1.5 0.2 3.1 17.9
プレイオフ   105 93 36.9 46.9% 24.4% 83.3% 3.3 8.9 1.3 0.3 3.4 19.3



<通算成績>
通算アシスト数6711:歴代16位 (試合平均9.1は歴代6位)



<その他>
現役の頃、ジョンソンは地元のモールのサイン会で無料でサインをしていた。また、同じく現役時代にサクラメント市内に市内の子供を対象にした学校、セント・ホープ・アカデミーを開校している。

漫画スラムダンクに登場する宮城リョータのモデルであるとされている。

2008年11月4日、サクラメント市、市長に選出された。