[ 2010年03月23日 ]

リチャード・ジェファーソン(Richard Jefferson)



リチャード・ジェファーソン(Richard Allen Jefferson、1980年6月21日 - )は、アメリカ合衆国のバスケットボール選手である。ロサンゼルス生まれ、アリゾナ州フェニックス育ち。北米プロバスケットリーグNBAのサンアントニオ・スパーズに所属する。背番号は「24」。主なポジションはスモールフォワードだが、シューティングガードもこなせるスウィングマンである。



大学時代>
大学はアリゾナ大学でプレイ。3年目のシーズンにはNCAAトーナメントで決勝まで勝ち進む。デューク大学との決勝でジェファーソンは後半だけで15得点あげるなど活躍し、オール・ファイナル4チームに選ばれたが、惜しくも優勝はならなかった。在学中のチームメイトにはギルバート・アリナス、ルーク・ウォルトンらが居る。



<ニュージャージー・ネッツ>
アリゾナ大学に在学中、2001年のNBAドラフトでヒューストン・ロケッツから1巡目13位指名を受けるも、開幕前にトレードでニュージャージー・ネッツに入団した。以降、2008年までネッツ一筋でプレーしている。ルーキーシーズンは、79試合に出場、9.4得点、3.7リバウンドの記録を残す。2002年には、チームを去ったスモールフォワードのキース・ヴァン・ホーンの後釜としてジェファーソンは先発メンバーとしてその才能を発揮させるようになる。

03-04シーズンでは、82試合すべての試合に出場した。同シーズン、スモールフォワードであるにもかかわらず、フィールドゴール成功率でリーグ12位にランクインする活躍を見せた。

2004年オフシーズンには、アテネオリンピックアメリカ代表としてもプレーした。

04-05シーズン開幕からはチームの大黒柱ジェイソン・キッドの怪我やケニオン・マーティンらの主力放出により、孤軍奮闘を強いられたが、キッドの復帰に加え、トロント・ラプターズのエースヴィンス・カーターをトレードで獲得し、NBA屈指のトリオ(ビッグ3)が誕生した。だが、直後にジェファーソンが右手の靭帯断裂の大怪我をしてしまい、シーズン中3人が同時に出場したのは8試合にとどまった。

05-06シーズンには3人そろってプレー。ジェファーソンは周囲から「カーターとポジションがかぶり、2人の能力が出せなくなってしまう。」と言う不安をうけていたが、そんなことはほとんどなく、上手くコート上に共存している。カーター加入後は第2オプションとしてプレー。得点は下がったものの、FG成功率はアップした。

06-07シーズンは右足首に怪我を抱えたままのプレーが続き、成績は下降。2007年1月には手術を決意し、戦線から離脱した。シーズン中の復帰は絶望と見られていたが、3月には復帰。彼の不在で低迷していたチームもシーズン最終戦には勝率5割に達し、プレイオフに進出した。

故障から立ち直ったジェファーソンは07-08シーズンにはカーターに代わってチームの得点源になるなど目覚しい活躍を見せ、近年付きまとい始めた「故障に弱い」というイメージを払拭して全82試合に出場し、平均22.6得点の好成績を残したが、ネッツはシーズン序盤から不調に陥り、さらにジェイソン・キッドがチームを去ったため、プレーオフ進出は果たせなかった。



<ミルウォーキー・バックス>
2008年オフ、ネッツは再建を図るためにジェファーソンのトレードを決意。ジェファーソンはルーキーイヤーから7年間過ごしたネッツを去り、ミルウォーキー・バックスへ移籍した。バックスではエースのマイケル・レッドとのデュオが注目を集めたが、レッドは故障でシーズンの大半を欠場し、ジェファーソンは孤軍奮闘を強いられ、チームはデビジョン最下位に沈んだ。



<サンアントニオ・スパーズ>
2009年オフ、ブルース・ボーウェン、カート・トーマス、ファブリシオ・オベルトとのトレードでサンアントニオ・スパーズに移籍する。



<プレイスタイル>
優れた身体能力を持ち、オフェンス・ディフェンス両面において活躍できるオールラウンダー。ダンクなど派手なプレイも得意な一方で、チームに対する献身的な姿勢も高く評価されている。例えば大活躍を見せていたにもかかわらず、04-05シーズン直後にカーターが加入した後はファーストオプションを譲るなど常にチームの勝利を優先している。ネッツ在籍時にはジェイソン・キッドが得意とする速攻のファーストオプションとして、誰よりも速く敵陣に駆け上がっていた。キッドもジェファーソンには絶大な信頼を寄せており、「バッシュの音を聞いただけで彼がコートの何処に居るか分かる」と語っていた。

リーグ屈指のスモールフォワードとも評される一方で、オールスターやオールNBAチーム等の選出はこれまでになく、過小評価されがちな選手でもある。



<エピソード>
2009年7月11日に結婚式を挙げる予定だったが、その数日前に婚約者と破局してしまい、結婚式の中止を伝えることができなかったため、パーティー会場には多くの出席者が集まってしまった。ジャファーソンは出席者の一人にクレジットカードを渡し、新郎新婦の居ないパーティーを楽しんでもらったという。 



<受賞歴>
2002年 - オール・ルーキー・セカンドチーム