[ 2012年06月13日 ]

シェーン・バティエ(Shane Battier)

シェーン・バティエ(Shane Courtney Battier, 1979年9月9日 - )は、アメリカ合衆国のバスケットボール選手。NBAのメンフィス・グリズリーズに所属している。ミシガン州バーミングハム出身。身長203cm、体重100kg。ポジションはスモールフォワード。
目次  [非表示] 
1 生い立ち
1.1 デューク大学
2 NBA
2.1 メンフィス・グリズリーズ
2.2 ヒューストン・ロケッツ
3 プレイスタイル
4 受賞
5 外部リンク
生い立ち [編集]
シェーン・バティエことシェーン・コートニー・バティエは黒人の父と白人の母の一人息子として生まれた。小学校を卒業する頃には身長がすでに2mを超えていたという。黒人と白人のハーフであったため、少年時代にはどちらのコミュニティに属することも出来ず悩める日々を送った。
デューク大学 [編集]
デトロイトのカントリー・デイ高校を3.96GPAの優秀な成績で卒業したバティエはマイク・シャシェフスキーの勧誘を受け、デューク大学に進学。バスケットボール名門校でもある同大学でバティエは優秀なディフェンダーとして頭角を現した。バティエはすぐにCameron Craziesのお気に入りとなり、彼らの間では「Who's your daddy? Battier!」が合言葉となった。バティエ率いるデューク大は1999年と2001年のNCAAトーナメントでFinal4まで進出し、2001年のトーナメントではアリゾナ大学を破って優勝を果たしている。このシーズンのバティエはネイスミス賞、ジョン・ウッデン賞、アドルフ・ラップ賞、オスカー・ロバートソン賞などのカレッジバスケ界の主要タイトルを総なめにしており、NCAAトーナメントでは大会MVPにあたるMost Outstanding Playerに選ばれた。
在学中バティエは3度の全米コーチ協会選出の最優秀守備選手賞を獲得し、卒業後にはACCの50周年記念男子バスケットボールチームに選ばれ、背番号『31』はデューク大学の永久欠番となった。
NBA [編集]
メンフィス・グリズリーズ [編集]
2001年のNBAドラフトにてメンフィス・グリズリーズより1順目6位の指名を受けてNBA入り。ルーキーシーズンはベンチからの出場となったが、14.4得点5.4リバウンドという好成績を残し、チームメイトであるパウ・ガソルとともにオールルーキーチームに選出された。2年目はシーズンの半分をスターターで出場するも、成績は後退し、次のシーズンには再び控えに戻されたが、数字以上の活躍をする彼のロールプレイヤーぶりはチームから重宝がられ、4年目となる2004-2005シーズンには完全にスターターに定着した。グリズリーズでは5シーズンプレイした後、2006年のオフにヒューストン・ロケッツにトレードされた。
また、この年の夏に日本で開催された世界選手権にはアメリカ代表として来日。そうそうたる面々が顔を揃えた代表の中では知名度の低い選手ではあったが、大学時代の恩師である代表ヘッドコーチのマイク・シャシェフスキーからの信任は厚く、アメリカの銅メダル獲得に貢献した。
ヒューストン・ロケッツ [編集]
新天地で初のシーズンとなる2006-2007シーズンは、ロケッツの2枚看板であるトレイシー・マグレディと姚明が交互に故障でチームを離れるという悪循環に見舞われたものの、その穴をバティエがカバーし、チームは前シーズンから大きく勝率を伸ばしてプレイオフに進出した。以後ロケッツには欠かせない選手として、毎シーズンマグレディと姚明の故障に見舞われるロケッツをプレーオフ戦線に留める働きを見えており、、2007-08シーズンには歴代2位となる22連勝を記録したロケッツの快進撃を支えた。
プレイスタイル [編集]
数字の面ではルーキーイヤーが最も優秀であるが、周囲からの評価はシーズンを重ねるごとに上昇しており、数字には表れないところで貢献できるバイプレーヤーの最高峰。チームに対して非常に献身的な姿勢やコート上で見せるリーダーシップは高く評価されている。特にディフェンスではリーグ屈指のエースストッパーとして敵チームの脅威となっており、決して身体能力は高くないが、ずば抜けたバスケットIQと洞察力、絶妙なポジショニングで相手の攻撃の手を封じ、オフェンスチャージングを引き出す術にも長けている。またオフェンスではコーナーサイドからの3Pシュートを得意としている。
受賞 [編集]
オールルーキー1stチーム:2002
オールディフェンシブ2ndチーム:2008
2006年世界選手権:銅メダル

シェーン・バティエ(Shane Battier) 
シェーン・バティエ(Shane Courtney Battier, 1979年9月9日 - )は、アメリカ合衆国のバスケットボール選手。
NBAのマイアミ・ヒートに所属している。
ミシガン州バーミングハム出身。
身長203cm、体重100kgでポジションはスモールフォワード。



生い立ち
シェーン・バティエことシェーン・コートニー・バティエは黒人の父と白人の母の一人息子として生まれた。小学校を卒業する頃には身長がすでに2mを超えていたという。黒人と白人のハーフであったため、少年時代にはどちらのコミュニティに属することも出来ず悩める日々を送った。



デューク大学
デトロイトのカントリー・デイ高校を3.96GPAの優秀な成績で卒業したバティエはマイク・シャシェフスキーの勧誘を受け、デューク大学に進学。バスケットボール名門校でもある同大学でバティエは優秀なディフェンダーとして頭角を現した。バティエはすぐにCameron Craziesのお気に入りとなり、彼らの間では「Who's your daddy? Battier!」が合言葉となった。
バティエ率いるデューク大は1999年と2001年のNCAAトーナメントでFinal4まで進出し、2001年のトーナメントではアリゾナ大学を破って優勝を果たしている。このシーズンのバティエはネイスミス賞、ジョン・ウッデン賞、アドルフ・ラップ賞、オスカー・ロバートソン賞などのカレッジバスケ界の主要タイトルを総なめにしており、NCAAトーナメントでは大会MVPにあたるMost Outstanding Playerに選ばれた。在学中バティエは3度の全米コーチ協会選出の最優秀守備選手賞を獲得し、卒業後にはACCの50周年記念男子バスケットボールチームに選ばれ、背番号『31』はデューク大学の永久欠番となった。



NBA
メンフィス・グリズリーズ
2001年のNBAドラフトにてメンフィス・グリズリーズより1順目6位の指名を受けてNBA入り。ルーキーシーズンはベンチからの出場となったが、14.4得点5.4リバウンドという好成績を残し、チームメイトであるパウ・ガソルとともにオールルーキーチームに選出された。
2年目はシーズンの半分をスターターで出場するも、成績は後退し、次のシーズンには再び控えに戻されたが、数字以上の活躍をする彼のロールプレイヤーぶりはチームから重宝がられ、4年目となる2004-2005シーズンには完全にスターターに定着した。
グリズリーズでは5シーズンプレイした後、2006年のオフにヒューストン・ロケッツにトレードされた。
また、この年の夏に日本で開催された世界選手権にはアメリカ代表として来日。そうそうたる面々が顔を揃えた代表の中では知名度の低い選手ではあったが、大学時代の恩師である代表ヘッドコーチのマイク・シャシェフスキーからの信任は厚く、アメリカの銅メダル獲得に貢献した。

ヒューストン・ロケッツ
新天地で初のシーズンとなる2006-2007シーズンは、ロケッツの2枚看板であるトレイシー・マグレディと姚明が交互に故障でチームを離れるという悪循環に見舞われたものの、その穴をバティエがカバーし、チームは前シーズンから大きく勝率を伸ばしてプレイオフに進出した。
以後ロケッツには欠かせない選手として、毎シーズンマグレディと姚明の故障に見舞われるロケッツをプレーオフ戦線に留める働きを見えており、、2007-08シーズンには歴代2位となる22連勝を記録したロケッツの快進撃を支えた。



プレイスタイル
数字の面ではルーキーイヤーが最も優秀であるが、周囲からの評価はシーズンを重ねるごとに上昇しており、数字には表れないところで貢献できるバイプレーヤーの最高峰。チームに対して非常に献身的な姿勢やコート上で見せるリーダーシップは高く評価されている。特にディフェンスではリーグ屈指のエースストッパーとして敵チームの脅威となっており、決して身体能力は高くないが、ずば抜けたバスケットIQと洞察力、絶妙なポジショニングで相手の攻撃の手を封じ、オフェンスチャージングを引き出す術にも長けている。またオフェンスではコーナーサイドからの3Pシュートを得意としている。



受賞
オールルーキー1stチーム:2002
オールディフェンシブ2ndチーム:2008
2006年世界選手権:銅メダル