[ 2010年03月04日 ]

メッタ・ワールド・ピース(Metta World Peace)、ロン・アーテスト(Ron Artest)



2011年9月16日、本名を「メッタ・ワールド・ピース」に改名した。名字の「ワールド・ピース」は「世界平和」を意味し、名前の「メッタ」は仏教において、「すべてのものへの友愛を」という意味がある。

ロン・アーテスト(Ron Artest、本名 Ronald William Artest, Jr.、1979年11月13日 - )はアメリカ合衆国のバスケットボール選手で、ポジションはスモールフォワード。北米プロバスケットボールリーグNBAのロサンゼルス・レイカーズに所属している。ニューヨーク市クイーンズ区ロング・アイランド・シティ地区にあるクイーンズブリッジという公営住宅で生まれ育った。

201cm、112kg。ディフェンス面ではポイントガードからパワーフォワードまで相手の要となる選手を抑える。



<シカゴ・ブルズ>
アーテストはセント・ジョーンズ大学でプレーした後、1999年のNBAドラフトでシカゴ・ブルズより1巡目16位で指名された。アーテストは泣いたが、TNTに「これは純粋にうれしくて泣いているんだ。」と語っている。



<インディアナ・ペイサーズ>
2002年にブラッド・ミラーとロン・マーサーとともにインディアナ・ペイサーズに移籍した。



<パレスでの騒乱>
2004-05シーズンの2004年11月19日、デトロイト・ピストンズのホームコート「ザ・パレス・オブ・オーバンヒルズ」で起こった事件。NBA選手や観客数人による一連の口論や騒動のことをさす。NBAはおろか、アメリカのプロスポーツの歴史の中でもっとも不名誉な事件のひとつといわれている。

事の発端はアーテストがピストンズのベン・ウォレスに対してファウルをしたことが始まり。それに対してベン・ウォレスはアーテストを少し押した。ベン・ウォレスの真似をしながら、アーテストはコートサイドのテーブルの上に寝た後、試合の解説者の真似をした。そんなアーテストに向かってベン・ウォレスはタオルを投げた。その直後、地元のピストンズファンのジョン・グリーン(当時ミシガン州ウェスト・ブルームフィールド在住)がアーテストに向かってビールの入ったコップを投げて、それがアーテストに当たった。それに反応したアーテストは観客席に飛び込み、(コップを投げたと彼が思った)観客の一人に向かって怒鳴った。実際には別人だった。そこにペイサーズの選手数人が仲裁に飛び込んで、アーテストはコート上に戻った。しかしそこでアーテストは観客のA.J.シャックルフォード(侮蔑的な言葉を口にしたピストンズファン)を殴る。ゲームは終了約1分前だったが試合はその時点で中止になった。

2004年11月21日、NBAはアーテストのシーズン残り試合(73試合)を出場停止にした。これはドラッグ、賭博が原因ではない処分としては、NBAの歴史の中で最長の出場停止処分期間だった。そのほか、4人のピストンズの選手、4人のペイサーズの選手にそれぞれ最長30試合の出場停止処分が科された。その4人のペイサーズの選手には罰金やコミュニティ・サービスも科された。また、数人の観客にパレス・オブ・オーバーンヒルズに生涯入場禁止処分が科された。アーテストはこの出場停止によりサラリーのうち約500万ドルを失ったといわれている。

出場停止期間が明け、新たなシーズンが始まってすぐに、所属するペイサーズにトレードを要求した。



サクラメント・キングス>
停止処分が明けて、ようやく新シーズンが始まると、アーテストはトレードを要求した。これに対し当時の球団幹部のラリー・バードや、オールスター選手のジャーメイン・オニールは「裏切られた気分だ」というコメントしている。

2005-06シーズンの途中でペイサーズからサクラメント・キングスに、ペジャ・ストヤコビッチとのトレードで移籍した。2000年以来プレーオフの常連であったキングスはけが人が続出し、プレーオフ出場が危ぶまれていた。アーテストはリック・アデルマン監督に見出され、キングスは守備を中心に勝ち星を増やして、なんとかプレーオフに出場するまでになった。Foxスポーツは「アーテストがキングスをプレーオフ出場レースに復活させた。」と表現した。2006年のプレーオフでは1回戦でサンアントニオ・スパーズに敗れている。

調子を取り戻したアーテストであったが、2005-06シーズン終了後にチームメートのボンジ・ウェルズ及び監督リック・アデルマンの契約終了となっていた。アーテストは2人に大きな信頼を寄せており、自らの報酬を分けてでも彼らの引きとめを願ったがチームの方針により2人はチームを去って行った。以後2シーズン主力として活躍したが、時折、精彩を欠くようになり、キングスも低迷するようになっていった。



<ヒューストン・ロケッツ>
2008年オフ、トレードでヒューストン・ロケッツへ移籍した。チームの12年ぶりのウェスタン・カンファレンス準決勝進出に貢献した。



<ロサンゼルス・レイカーズ>
2009年オフにFAとなり、ロサンゼルス・レイカーズと契約した。



<アーテストが起こした騒動>
・ブルズに在籍していたとき、従業員に対する割引が目的でサーキット・シティーという大手の会社に仕事を申し込んだため批判されたことがある。

・ペイサーズ在籍時にはバスローブで練習に参加したことがある。

・2001年夏、練習試合でマイケル・ジョーダンの肋骨を折った。

・2003年にはマディソン・スクエア・ガーデンでテレビカメラを壊したのが原因で3試合の出場停止処分が科された。

・2003年、マイアミ・ヒートのパット・ライリー監督と口論をして4ゲームの出場停止処分が科された。

・2004-2005シーズン、ペイサーズ在籍時にR&BのCDの製作が忙しいという理由で当時の監督のリック・カーライルに1ヶ月の休養を要求した。そのため2ゲームの出場停止処分が科された。

・2006年、プレーオフ1回戦の第2試合には出場停止でプレーできなかった。1試合目でエマニュエル・ジノビリの顔にひじを当てたため。

・2007年、妻に対する家庭内暴力により逮捕され、GMより出場停止が言い渡される。



<コート外での評判>
非常に落ち着いた、性格の良い人だと家族は語っている。年下の兄弟のアイザイアとダニエルは「彼は父親のように面倒を見てくれる。」父親のロンは「息子がNBAのシーズン中の旅のせいで思うように彼の子供たちと過ごせないことを知っている。彼は良い父親だ。」と言っている。母親のサラは「彼は犯罪者でもなければギャングでもない。息子たちはプロジェクトに住んでいた間、(大きな)喧嘩なんてしなかった。」「あの(パレスでの事件のあった)年の最初のころ、「僕のことを好きじゃないファンがいるとき、とてもつらいよ。コインを投げてきたりするんだ。」と言っていたわ。彼は悪い人間じゃない。あの騒動でも、彼は反応しただけなのよ。」と、アーテストの73試合の出場停止期間中に語っている。



<プレースタイル>
ハードワークを身上とし、マッチアップする相手を選ばない好ディフェンダーとして有名。しかし単なるロールプレーヤーではなく、チームにフィットすれば平均20得点前後を計算できるオフェンス能力も備える。パワーを活かしたポストプレーと3ポイントシュートが主な得点スタイルで、強靭な肉体をぶつけてパワーフォワードとしてもプレーすることができる。ただ、彼はオフェンス面で目立ちたがりな一面があり、キングス在籍時には、エースガードのマイク・ビビーに「もっとボールをよこせ」、「ディフェンスをしろ」等と盾突くなど、調和を乱す事もありチーム内の爆弾にもなりかねない。一方で、リック・アデルマン監督の元では忠誠を誓い、チームプレーヤーへと変貌するなど、気まぐれで飼いならすのが難しい狂犬的存在で、これは自身も憧れるデニス・ロッドマンに比較される。



<その他>
・ペイサーズで背番号が23番をつけていた時期がある。これはマイケル・ジョーダンへの尊敬を示したもの。

・2004-2005シーズンには91番をつけていた。これはデニス・ロドマンへの尊敬を示したもの。一時は、ブルズの背番号を全制覇するとも言っていた。

・デトロイト・ピストンズの本拠地パレス・オブ・オーバーンヒルズでおこした「パレスでの騒乱(malice at the Palace)」の後は15番をつけた。

・キングス在籍時には93番をつけた。

・2006年夏時点で、NBA選手の中でただ一人「k1x」(ドイツのブランド)を支持している。

・アーテストの父親はニューヨークのマンハッタンにある「Patis」という店の用心棒。

・アーテストは9人兄弟の4番目に生まれた。

・瞑想を取り入れることを考えたことはあるかとインタビューで聞かれ、アーテストは「そんなことを考えたことは無い。かつて医者が俺に瞑想をするように提案をしてきたことがある。「(瞑想の仕方などについて書かれた文書を)もらっておきます。」と言ったが、すぐにゴミ箱に捨てたよ。」と語っている。

・オールスターに出られる実力がありながらほとんど出ていないことについて「俺をオールスターゲームに出さないほうが良い。俺ならシュートしなくても、あんなやさしいゲームは支配できる。ファウルもするし、フレグラント・ファウルもするだろう。他のオールスターのメンバーたちは「あいつはいったい何をしているんだ」と言うだろうな。」

・野球ではニューヨーク・メッツファンである。

・激しいプレイスタイルから「TRU WARIOR」(トゥルー・ウォリアー)の異名を持っている。

・2006年に『My World』と名づけられたラップアルバムを発表するものの、第1週の売り上げは343枚に終わり、商業的には大失敗に終わった。