[ 2010年03月03日 ]

ティム・ダンカン(Tim Duncan)

ティム・ダンカン(Tim Duncan)

ティム・ダンカン(Timothy (Tim) Theodore Duncan、1976年4月25日 - )はアメリカ領ヴァージン諸島セント・クロイ島クリスチャンステッド出身のバスケットボール選手。北米プロバスケットボールリーグNBAのサンアントニオ・スパーズに所属する。チームの象徴であり、現在のリーグを代表する一人。ポジションはパワー・フォワードまたはセンター。

これまでNBA優勝4回、内ファイナルMVPは3回、シーズンMVP2回受賞、その他数々の実績から史上最高のパワーフォワードとの呼び声も高い選手である。



<少年期と大学時代>
少年時代は水泳をやっており、自由形のUSA代表としてオリンピックを目指していた。故郷ヴァージン諸島代表としてジュニアオリンピックにも出場している。だが1989年、巨大ハリケーン(ヒューゴ)が島を襲い、練習していたプールが使用不能になってしまった。このことがきっかけとなり、中学3年の頃からバスケットボールを始めるようになった。もともと体格に優れた彼は、その後天性の運動能力でバスケットボールの才能を開花させた。高校3年時には平均25得点をあげ幾つもの大学が彼に興味を示すようになった。

ウェイク・フォレスト大学ではスタープレイヤーとして活躍した。当時からNBAでも即戦力になり得る実力を持っていたが、アーリエントリーせずに大学では4年間プレーし卒業後にNBA入りしたのは、14歳のときに亡くした母親の遺志でもあった。キース・バン・ホーンとのライバル関係はマジック・ジョンソンとラリー・バードに例えられた。NCAAでの数々の記録を残した彼は、ネイスミス賞を受賞した。



<サンアントニオ・スパーズ>
大学卒業後、1997年のNBAドラフトにおいてサンアントニオ・スパーズに全体1位で指名を受け、鳴り物入りで入団したダンカンは、ルーキーイヤーから同チームセンターのデビッド・ロビンソンと「ツインタワー」を形成しチームの主軸となる。全試合に先発出場し、1試合平均21.1得点、11.9リバウンド、2.7アシスト、さらに2.5ブロックと新人らしからぬ驚異的な成績を残した。オールスター選出、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞し、オールNBA1st、オールディフェンシブ2ndチームに選出、各月間新人賞などを総嘗めにした。



入団2年目の1998-99シーズンには早くもNBAファイナルを制し、スパーズにとって初のチャンピオンリングをもたらした。このシリーズでエースの座は既にロビンソンからダンカンに移行し、ツインタワーはゴール下で脅威的な存在となった。ファイナルMVPも獲得。しかし、この年はロックアウトによる期間短縮の影響があり、本当の強さではないと批判も聞かれた。

事実ここから3シーズンに渡り、スパーズはロサンゼルス・レイカーズによって優勝を阻まれるようになる。1999-00はオールスターではシャキール・オニールと共にMVPを受賞し順調にシーズンを終えるもプレーオフではダンカンの故障もあり1stラウンドで敗退。翌2000-01は、カンファレンスファイナルではレイカーズと対戦。ここでシャック&コービー・ブライアントのコンビに全く歯が立たずにスイープという屈辱を味わうこととなった。ダンカンはメディアからも「肝心な所で役に立たない」との批判を受けた。翌2001-02、ダンカンはレギュラーシーズンにおいて25.5得点(キャリアハイ)、12.7リバウンド、2.5ブロック、(さらにダンカンとしては高いフリースロー成功率79.9%)の活躍により、初のシーズンMVPを受賞した。プレーオフでは、カンファレンス準決勝でレイカーズとの再戦となった。5戦目では、34得点に加えフランチャイズハイとなる25リバウンドと大暴れしたものの、1勝4敗で王者の前に屈する事となった。しかし、ダンカンの大活躍は前年までの批判を打ち消した。



2002-03シーズンはダンカンにとって最高のシーズンとなった。一試合平均23.3得点、12.9リバウンド(キャリアハイ)、2.9ブロック平均で2年連続のシーズンMVP選出。ダンカンのキャリアは正に絶頂期を迎えつつあった。同時に、ロビンソンは38歳となり、キャリア末期を迎えていた。レギュラーシーズンは最高勝率の第1シードで通過。若手のトニー・パーカーやマヌ・ジノビリといったサポーティングキャストを得たダンカンは、カンファレンス準決勝で宿敵レイカーズに勝利すると、その勢いのままファイナルに進出。ニュージャージー・ネッツを4勝2敗で降し、自身2度目の優勝となった。特に第6戦では21得点、20リバウンド、10アシスト、8ブロック、クアドルプル・ダブルまで2ブロックというキャリア最高の大暴れをファイナルの大舞台でやってのけた。8ブロックはファイナルタイレコード、合計32ブロックはパトリック・ユーイングの記録を抜くファイナルレコード。文句なしの活躍で2度目のファイナルMVPを手に入れた。そして、このゲームを最後に盟友のロビンソンが引退し有終の美を飾ることとなった。



<フランチャイズプレーヤーへ>
ロビンソン引退によりツインタワーの時代は終わり、スパーズはダンカンを中心に再構築が始まった。2003-04シーズンはドリームチームと呼ばれた宿敵レイカーズの前に、プレーオフ2回戦で敗退となった。しかし、以降を境にレイカーズ王朝は崩壊。次第にスパーズは2000年代最強のチームとしてNBAに君臨していく事になる。

2004-05シーズン、ダンカン個人の成績は少々下がったものの59勝で西カンファレンスの第2シードを獲得。そしてNBAファイナルに進出し、前年の覇者デトロイト・ピストンズと近年稀に見る激闘を繰り広げた。1,2戦と勝利し敵地で迎えた第3戦、ダンカンはピストンズの徹底したダブルチームによって、ゴール下での仕事をさせてもらえなかった。ピストンズはディフェンス王であるベン・ウォーレスやラシード・ウォーレスを中心とした強力なディフェンスで、一方スパーズもダンカンを核に鉄壁を誇り、東西ディフェンス頂上対決ともなった。3-3のタイで迎えた第7戦、ダンカンはその厳しいマークの中で25得点、11リバウンドをあげ、自身3度目の優勝を果たし3度目のファイナルMVPもダンカンが獲得。ジノビリ、パーカー、ブルース・ボウエン、ロバート・オーリーなどチームの活躍も大いに光ったシリーズと言える。




2005-06は、デビュー以来初めて20得点を下回ったが、チーム史上最高の63勝19敗で西カンファレンスの第1シードでプレイオフに臨んだ。しかしカンファレンス準決勝で、かつてのチームメートであるエイブリー・ジョンソンが監督となったダラス・マーベリックスに敗れて連覇の夢を絶たれた。2006-07は、自身4度目となるNBAファイナルに進出。クリーブランド・キャバリアーズを4勝0敗のスイープで退ぞけて4回目の優勝を遂げた。相手の若きエースレブロン・ジェームズに全くと言っていい程仕事をさせず、格の違いを見せ付けた形となった。ファイナルMVPはトニー・パーカーが獲得。かつてのロビンソンの様にダンカンも、徐々にエースから大黒柱へと立場を移していく。



2007-08の西カンファレンスのプレーオフは近年稀に見る大激戦となった。1stラウンドのフェニックス・サンズとの第1戦、世にも珍しいダンカンの同点3ポイントがブザー間際で決まり、ダブルOTに突入した激戦をものにした。その後スパーズはカンファレンスファイナルでレイカーズと対戦。シャック去りしレイカーズはその後MVPコービーの活躍やパウ・ガソルの補強で再び西の強豪にのし上がっていた。カンファレンス準決勝で第7戦まで縺れた疲労感を引きずったまま、このシリーズで敗退した。隔年での優勝を果たしてるダンカンにとって今や、NBA連覇こそが最終目標となっている。2008-09は、大黒柱として変わらない安定感でチームの地区優勝に貢献した。近年個人スタッツが緩やかな下降線をたどるダンカンに、年齢による衰えを指摘する声があったが、パーカー、ジノビリらが欠場し苦戦した序盤戦において20得点、10リバウンド級の成績を連発し健在であることを示した。これにより成績下降の原因はパーカー、ジノビリといった選手が台頭しダンカンが常時エース級の活躍を見せる必要がなくなった為であることが証明された。



<プレイスタイルと評価>
基本に忠実な教科書通りのプレーぶりで、「ビッグ・ファンダメンタル」(シャキール・オニール命名)、「ベーシック・ダンカン」(コービー・ブライアント命名)と呼ばれる。プレースタイルに華やかさはないが、一つ一つのプレーの安定感・正確さ、自己犠牲もいとわないチームを第一に考えた献身的な態度、勝者のメンタリティを持つ精神的に浮ついたところのない逞しさなど、現役選手の中では最も信頼された実力の持ち主である。ダンカンより派手で成績も上回っている選手は数多く存在するが、ダンカンより評価されている選手はほとんど存在しない。伝説のパワーフォワードカール・マローンをコーチしたユタ・ジャズのジェリー・スローンをして、「史上最高のパワーフォーワード」と言わしめた程である。

オフェンスパターンとしては、ポストプレーを得意とし、相手のダブルチームに対してはすかさずパスアウトする柔軟性を持つ。ハイポストでは、斜め45度からの正確無比なバンクショットが得意技で、多少距離があっても必ずバンクショットで決めてくる。非常に献身的な性格で、ベテランとなった近年ではエースの座をパーカー、ジノビリに譲り、チームメートのお膳立に回ることが多い。



ディフェンスでは、ブロックショットとリバウンドが特に強く、またデビュー以来非常に安定した成績を残し続けている。そんな彼のスタッツは、鉄壁のディフェンス力と抜群のチームケミストリーを誇るスパーズのチーム力を色濃く反映している。さらにプレーオフの個人成績において、得点、リバウンド、アシストの主要スタッツがレギュラーシーズンよりすべて上昇する勝負強さを誇っている。

彼の唯一の弱点はフリースローと言われているが、キャリア通算で68.4%と致命的に低すぎるという程度ではない。ただし、シーズンによって59%~79%とかなり成功率にバラつきがあると言える。



<タイトル>
NBAチャンピオン: 1999, 2003, 2005, 2007
レギュラーシーズンMVP: 2002, 2003
ファイナルMVP: 1999, 2003, 2005
オールスターMVP:2000(シャキール・オニールと共同受賞)
ルーキー・オブ・ザ・イヤー: 1998
オールNBAチーム
1stチーム: 1998, 1999, 2000, 2001, 2002, 2003, 2004, 2005, 2007
2ndチーム: 2006, 2008, 2009
オールディフェンシブチーム
1stチーム: 1999, 2000, 2001, 2002, 2003, 2005, 2007, 2008
2ndチーム: 1998, 2004, 2006, 2009



<記録>
最多得点: 53得点(対 ダラス・マーベリックス戦 2001年12月26日)
最多リバウンド: 25本(対 マイアミ・ヒート戦 2003年2月1日)
最多ブロック: 9個(対 メンフィス・グリズリーズ戦 2007年1月26日) 



<その他>
・ファイナルMVPを3回以上受賞するという偉業はマジック・ジョンソン(3回)とマイケル・ジョーダン(6回)、シャキール・オニール(3回)に続き史上4人目の快挙。

・デビューから現在まで、オールNBAチームとオールディフェンシブチームの両方に選出され続けている。11年連続は史上最多。2位の記録は7年連続のデビッド・ロビンソン。

・入団以来8年連続でオールNBA1stチームに選出された5人目の選手。残りはエルジン・ベイラー(10年連続)、ボブ・ペティット(10年連続)、ラリー・バード(9年連続)、オスカー・ロバートソン(9年連続)の4人。2005-2006シーズンには故障を抱えたままでのプレイが続いたため、1stチームには選出されずにこの記録は途絶えるが、翌シーズンには復調し、返り咲いた。

・姉のTriciaはヴァージン諸島の1988年のソウルオリンピックの競泳チームの一人。

・日本刀のコレクター。