[ 2010年03月03日 ]

ジェイソン・ウィリアムス(Jason Williams)

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<プレイヤー列伝>
ジェイソン・チャンドラー・ウィリアムス(Jason Chandler Williams, 1975年11月18日 - )は、アメリカ合衆国のバスケットボール選手。北米プロバスケットボールリーグNBAで活躍し、トリッキーなパスで観客を沸かせた白人のポイントガード。2008年に引退を表明したが、2009年夏に様々なチームのワークアウトに参加し、その中からオーランド・マジックと契約した。ウェストバージニア州チャールストン出身。身長185cm、体重86kg。



<学生時代の経歴>
彼はチャールストンから数マイル離れた小さな町ベレで成長し、デュポン高校(現在は廃校となっている)を卒業した。最上級生の年に彼は後にNFLの大スターとなるランディ・モスと並んで、バスケットボールで頭角を現す。

ウィリアムスはマーシャル大学に入学し、コーチのビリー・ドノヴァンの下でプレーする。ドノヴァンがフロリダ州ゲインズヴィルにあるフロリダ大学ゲイターズのヘッド・コーチに就任すると、ウィリアムスは彼についてゲインズヴィルに行く。ウィリアムスはそこでゲイターズのポイントガードとしてチームをリードした。彼は前シーズンチャンピオンのケンタッキー・ワイルドキャッツをラップ・アリーナでの試合でほとんど独力で打ち破った。そのシーズン後、ゲイターズは彼がチームの規則(大麻使用)を破ったとして追放した。



<サクラメント・キングス

サクラメント・キングスから1998年のNBAドラフトで全体7位で指名された。彼はドラフト会場にはいなかったが、フロリダ州オーランドからの衛星中継でインタビューに答えた。

キングスでウィリアムスは、クリス・ウェバー、ブラディ・ディバッツおよびプレドラグ・ストヤコヴィッチと共にチームをプレーオフに進出させた。



<バンクーバー・グリズリーズ
2001年、キングスはウィリアムスを、バンクーバー・グリズリーズのマイク・ビビーとトレードした。グリズリーズは2001-02シーズンに先立って本拠地をメンフィスへ移転した。グリズリーズでの最初のシーズン、ウィリアムスはその才能を十分には発揮しなかった。

2002-03シーズン、ウィリアムス率いるグリズリーズはチーム史上最高の28勝を挙げた。

2003-04年シーズンには大方の予想を覆し、ウィリアムスはチームメートのパウ・ガソルと共にチーム記録を22勝も上回る50勝する原動力となって、ウェスタン・カンファレンスで6番目のシードして初のプレーオフ進出に貢献した。



<マイアミ・ヒート>
2005年8月2日にウィリアムスとチームメイトのジェームズ・ポージーは、リーグ史上最大のトレードとなった5チーム合計13名の選手の内の2名としてマイアミ・ヒートのシューティング・ガード、エディー・ジョーンズと交換された。

2005-06シーズンは、ヒートの先発PGとしてプレイ、プレイオフに入ってから少し出場機会をゲイリー・ペイトンに多く譲ったが、ダラス・マーベリックスを破り、初のNBAチャンピオンリングを獲得した。 



<ロサンゼルス・クリッパーズ>
2007-08シーズン終了後8月7日に、ロサンゼルス・クリッパーズと契約したが、2008-09シーズン開幕前に1試合も出場する事なく現役引退を表明した。



<オーランド・マジック>
しかし、現役復帰を望んだウィリアムスは、2009年8月20日にオーランド・マジックと契約した。

ウィリアムスのキャリア10年の通算成績は、679試合に出場、平均11.4得点、6.3アシスト、2.4リバウンド、1.3スティールを記録 また、FG成功率39.6%、3P成功率32.5%、フリースロー成功率81.6%という記録を残している。 



<プレースタイル>
ウィリアムスは白人であるにもかかわらず、黒人のストリート・バスケットをルーツとしたプレースタイルを取ることから「ホワイト・チョコレート」のニックネームで呼ばれる。なお、ウィリアムス本人は人種的な響きの強すぎるこの呼び名を好んでいない。彼はまた「J-Will」「J-Dub」とも呼ばれる。プロデビュー当初のウィリアムスはしばしばピート・マラビッチの再来と言われた。

ウィリアムスはそのパスの巧みさとボール・ハンドリングの鮮やかさで知られた。ことパスにおいては、相手選手を翻弄した(肘を使ったパスなどもある)。しかしNBA初期では保持したボールを無駄にしてしまう傾向があった。ゲーム中のターンオーバーが多いことから、ボールを持たせるのが危ないという評判をもたらした。サクラメント・キングス時代では試合の局面(主に最終クオーター)で起用してもらえることが少なく、こういった場面はボビー・ジャクソンが任されていた。このプレースタイルから彼は多くのNBA評論家やコーチ達から技術よりも派手さが目立つ選手であると見なされた。メンフィス・グリズリーズでの経歴終盤にはボールを無駄にする傾向を著しく改善し、試合ごとに高水準のアシスト・ターンオーバー比(ターンオーバー1つに対するアシスト数)を達成した。にもかかわらず、彼への悪評は改善されなかった。ダラス・マーベリックスとのNBAファイナルでもベテランのペイトンが終盤にはウィリアムスより多用されがちだった。

何時何処から出るか分からないパスの華麗さから、日本人からの人気も高かった。


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Writen by KIM Soo-heon from 大手町一家バスケットボールクラブチーム

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