[ 2010年12月09日 ]

エマニュエル・ジノビリ(Emanuel Ginobili)



<2010/12/09更新>
エマニュエル・ジノビリ(Emanuel Ginobili)ことエマニュエル・ダヴィド・ジノビリ(Emanuel David Ginóbili、1977年7月28日 - )は、アルゼンチンのプロバスケットボール選手である。北米男子プロバスケットボールリーグNBAのサンアントニオ・スパーズ所属。ブエノスアイレス州バイアブランカ出身。身長198cm、体重95kg、背番号は「20」。サウスポー。愛称は「マヌ」。



<生い立ちからプロデビューまで>
ジノビリはバスケットボール一家としてアルゼンチンで育つ。彼の父親はバイアブランカのクラブでコーチをしており、兄弟はアルゼンチンやヨーロッパのクラブでプロ選手として活躍。彼自身も、アルゼンチンのプロリーグで活躍するようになる。

やがて、イタリアのセリエAに渡り1998年から2002年までプレーした。この間に1999年のNBAドラフトでサンアントニオ・スパーズから2巡目57位で指名されている。しかしこの時点ではすぐに契約をせず、その後セリエAのヴィルトゥス・ボローニャで2年間プレーしている。2000-01シーズン、ボローニャにてセリエA優勝、さらにユーロリーグを制し、ジノビリはMVPを獲得。セリエAでも2シーズン連続でMVPを獲得している。



<NBA>
2002-03シーズン、スパーズでデビュー。レギュラーシーズンは怪我の影響もあり先発は5試合にとどまったが、オールルーキー2ndチームに選出された。プレーオフでは一転、コンスタントな活躍を見せNBAファイナルに進出。ニュージャージー・ネッツを倒し、ルーキーイヤーにして早くもNBA優勝を経験した。

2003-04シーズンは、スパーズのスターターとして成長。しかしプレーオフでは、2回戦ロサンゼルス・レイカーズに敗れた。その後ジノビリはアテネオリンピックにアルゼンチン代表としてプレーし、悲願の金メダルを獲得した。

金メダルの勢いに乗ったまま2004-05シーズンに入る。ジノビリは自己最高の平均16得点を記録し、自身初のオールスターに選出される。その後、スパーズはプレーオフに進出。スティーブ・ナッシュの活躍で一躍優勝候補に躍り出たフェニックス・サンズ、そして、イースタンカンファレンスを制し、2連覇に挑んだデトロイト・ピストンズを次々に破り、2年ぶりの王座奪還を果たす。ファイナルMVPには大黒柱のティム・ダンカンが選ばれたが、「ジノビリこそMVP」という専門家も多くいた。オリンピックMVPにNBAチャンピオンと、ジノビリのキャリアの中でも1番の輝きを放つシーズンになった。

2003年の優勝後、当時のアルゼンチンの大統領ネストル・キルチネルと会見するマヌ・ジノビリ2005-06シーズンは自身の足の怪我もあり、昨シーズンよりも数字を落とすが、オフに獲得したベテラン、マイケル・フィンリーやニック・ヴァン・エクセルのプレーや、急成長を遂げたトニー・パーカーの活躍でバックコート陣の層は大幅に厚みを増し、スパーズはチーム記録となる63勝を挙げた。プレーオフでは2回戦、ダラス・マーベリックスに敗れている。



2006-07シーズン、ジノビリはシックスマンへと転向。スターター級のジノビリがベンチに控えることは相手チームにとっては脅威となり、本来個人プレイが得意なジノビリに「行き詰った試合の流れを変える」というシックスマンの仕事はうってつけであった。前シーズンの不調から復活したジノビリはこのシーズンのシックスマン賞の投票で2位となり。スパーズは彼の活躍もあって再びファイナルを制覇、ジノビリは2つ目のチャンピオンリングを手に入れた。

2007-08シーズンはベンチからの出場ながら、1試合平均平均で19.5得点はティム・ダンカン超えのチームハイであった。その活躍が評価されシックスマン賞を受賞。出場時間も先発メンバーと同じ様に長く、特に重要な局面ではスタメンを差し置いてエースとして活躍した。NBA3rdチームに選ばれる。プレーオフ一回戦フェニックス・サンズ戦で左足首負傷。カンファレンス決勝のロサンゼルス・レイカーズ戦ではその怪我の影響で力が出し切れず敗因となってしまう。

2008-09シーズンもシックスマンとしてプレーしスターターと同格の成績を残したが、後述の北京オリンピックでの怪我の影響で出場試合は自己最低の44試合に終わった。



<アルゼンチン代表>
ジノビリは1998年アテネにて開催された世界選手権で代表デビューし、アルゼンチン代表の中心選手として活躍してきた。それまで国際大会はアメリカ合衆国が支配してきたが、ジノビリの成長と共にアルゼンチンは世界トップクラスのナショナルチームとなっていった。

2004年のアテネオリンピックではアメリカが準決勝で敗れる中で、見事金メダルを獲得。19.3得点、3.3アシストは共にチームハイで、大会MVPとなった。ちなみに初戦のセルビアモンテネグロ戦では、残り0.7秒で決勝ブザービーターを決めている。2008年の北京オリンピックでは開会式の入場行進で旗手を務めた。準決勝でジノビリは負傷し敗れたものの、銅メダルを獲得した。



<プレイスタイル>
運動能力は標準的で、身長も198cmと決して高くないジノビリの最大の武器は、抜群の安定感を誇るドリブルペネトレイトである。「普通の選手とは違うジグザグした動き」と評されるジノビリ独特の変幻自在のドライブにディフェンスは翻弄され、ゴールを許すか、ファールを犯してしまう。体の使い方が上手くボディバランスにも優れ、特にドリブルからシュートに移行するモーションでボールを抱え込む様に保持することで、スティールされにくくしている。

一般的に守り辛いとされる左利きの上、アウトサイドシュートも非常に正確で、少しでも離すと高確率で3ポイントを決められてしまうため、ディフェンダーとしては何をしでかすか分からず、非常に守りにくい。さらにシュートフェイクも上手く、南米人らしい狡猾さでファウルを誘うテクニックも持つ。フリースローの名手でもあり、ファウルゲームでは必ずジノビリがボールを受ける。

多くの大試合を経験しているため、戦術理解度が高くメンタルも強い。アルゼンチンの英雄でありながらシックスマンの役割もチームの勝利のために引き受けるなどジノビリの能力がスパーズの強さの大きな一因として高く評価されている。



タイトル・受賞>
イタリアリーグ優勝:2001
イタリアカップ優勝:2001, 2002
ユーロリーグ優勝:2001
ユーロリーグMVP:2001
2008年、ユーロリーグ史上の偉大な50人の貢献者に選出
NBAチャンピオン:2003, 2005, 2007
オールスター選出:2005
NBAシックスマン賞:2008
オールNBA3rdチーム:2008 



<その他>
・ジノビリはイタリア系移民の血統である。また、母国語のスペイン語の他に英語、イタリア語も流暢に話すことができる。

・趣味はサーフィン、インターネット、ラテン音楽、映画鑑賞など。

・ユーロリーグとNBAで優勝、さらにオリンピックで金メダルを獲得している唯一の選手である。