
デンバー・ナゲッツ(Denver Nuggets)は、アメリカ合衆国コロラド州デンバー市に本拠を置く全米プロバスケットボール協会 (NBA) のチーム。ウェスタン・カンファレンス、ノースウェスト・ディビジョン所属。チーム名のnuggetとは塊を表す。金塊を指し、ゴールドラッシュの舞台となった西部のイメージを表している。海抜約1,600メートルのデンバーに本拠を置くナゲッツは、NBAのチーム中最も高地にあるチームとして知られる。
<デンバー・ロケッツ>
1949年にNBAのチームとしてデンバーを本拠に活動したデンバー・ナゲッツという同名のチームがあったが、このナゲッツは1シーズンで解散しており、今のナゲッツと直接の関係はない。現在のデンバー・ナゲッツは、NBAに対抗する形で存在したもう一つのリーグABAに所属したデンバー・ロケッツとして始まった。
ABAのデンバー・ロケッツは中堅どころのチームとして最初の数シーズンを過ごした。当時はNBAにヒューストン・ロケッツというチームがあり、リーグの経営状態悪化からチームのNBA入りが現実味を帯び始めると、デンバー・ロケッツの経営陣は新たな名称の検討に入った。採用された「ナゲッツ」はかつてデンバーに存在したチーム名と同じものであり、19世紀の金銀採掘ブームの折りに金や銀の塊を指した nugget から採られた。
<デンバー・ナゲッツ>
1974年に名を改めたデンバー・ナゲッツは、ラリー・ブラウンに率いられたABA末期にはデビッド・トンプソン、ダン・イッセルを中心としたチームは65勝19敗、60勝24敗の成績を残す強豪になっており、ABA最後のシーズンにはリーグを制した。1976年にNBAに加入したのちも数年間はディビジョン首位に位置する有力チームだった。
1980年代初期のナゲッツはリーグで最も得点力のあるチームだった。アレックス・イングリッシュ、キキ・バンダウェイ、ラファイエット・リーバーは平均得点がそれぞれリーグ上位に入ることもあったものの中堅レベルのチームでプレイオフでは長く勝ち残れなかった。
1990年代初頭には20勝62敗にまで落ち込む低迷期に入った。この頃にはマクムード・アブドゥル=ラウーフやディケンベ・ムトンボが中心選手だった。1994年のナゲッツはシーズンを42勝40敗で終え、プレイオフでは63勝19敗でウェスタンカンファレンス第1シードだったシアトル・スーパーソニックスを1回戦で破る大番狂わせを演じた。(第8シードが第1シードを破ったのは初、その後もロックアウトで短縮されたシーズンの8位、ニックスがヒートを、07年にゴールデンステイト・ウォリアーズがダラス・マーベリックスを破ったのを含めて3度しかない。)しかし90年代末期には、11勝71敗とリーグ史上最低に近い勝率に終わるなど、再び低迷期に入った。
21世紀に入り、アントニオ・マクダイス、ニック・ヴァン・エクセルを中心に一時勝率5割近くまで戻したものの、ヴァン・エクセルは2000-01シーズン途中で、マクダイスは2001年6月にマーカス・キャンビーらと交換で移籍した。2001年8月にバンダウェイがジェネラルマネージャーに就任したが、2001-02シーズンは17勝65敗まで落ち込んだ。
<アンソニーの時代>
しかし、翌シーズンにはドラフトでカーメロ・アンソニーを獲得、続くシーズンにはジョージ・カール監督を迎えてナゲッツは再び5割以上の勝ち星を上げるチームになっている。 2005-06シーズンは、地区優勝を決めて第3シードとなったが、プレイオフ1回戦の相手、第6シードのロサンゼルス・クリッパーズより勝率が悪かったため、ホームコートアドバンテージを得ることができず、1-4で敗退、バンダウェイはチームを去った。
2006-07シーズン12月、ニックス戦でJ.Rスミスにフレグラントファールをしたジェイソン・コリンズをアンソニーが殴ったため、15試合の出場停止処分が下った。チームはその危機を救うべく、76ersからリーグ屈指のガード、アレン・アイバーソンをアンドレ・ミラーらとのトレードで獲得。アンソニー復帰後の4月には10勝1敗を記録し、アンソニーとアイバーソンはリーグで最も得点をあげるデュオとなった。
2007-08シーズンには1980年代以来となる50勝32敗の好成績を収めたが、このシーズンのウェスタンカンファレンスのプレーオフ進出争いは異常に過熱し、ナゲッツは50勝をあげながらも第8シードとなり、シーズン勝率首位のロサンゼルス・レイカーズの前にスイープ負けを喫した。
ちなみに、ナゲッツは近年ディフェンスが弱いためDのないデンバー(DENVER)をエンバー(ENVER)と言われてしまっている。
2008-09シーズン11月、開幕直後A・アイバーソンをトレードでデトロイト・ピストンズに放出。代わりに2004年のNBAファイナルMVPを受賞したC・ビラップスを獲得。 ビラップス加入後チームは結束し、怪我や病に苦しんだネネの躍進、ベンチ陣の奮闘もあり54勝28敗 第2シードでシーズンを終えた。 開幕前にキャンビーをサラリー軽減だけのために放出した事もあり誰もが予想だにしなかった結果だった。 プレーオフでは24年ぶりにカンファレンスファイナルに進出した。ちなみにこの思わぬ展開に会場の問題が発生。第4戦が行なわれる5月25日のペプシ・センターはすでにアメリカのプロレス団体WWEが前年の8月に仮予約し、4月の段階で正式に抑えていた。最終的に試合の5日前、オーナーのクランケが強権発動によりナゲッツの試合が行なわれることになったが、WWEのチェアマンであったビンス・マクマホンは「クランケはオーナーのくせに自分のチームの進出を信じていなかった」と批判。結局、WWEは当日はナゲッツの対戦相手であったロサンゼルス・レイカーズの本拠地ステイプルズ・センターで公演を行ない、TV収録大会であったためナゲッツを皮肉するストーリラインを展開。なお、ステイプルズ・センターの利用料はナゲッツ側が負担した。
<年代別主要選手>
太文字…殿堂入り選手 (C)…優勝時に在籍した選手 (M)…在籍時にMVPを獲得した選手 (50)…偉大な50人
・1960年代 (プレイオフ進出:2回)
バイロン・ベック (Byron Beck) :1967-1977
ラリー・ジョーンズ (Larry Jones) :1967-1970
スペンサー・ヘイウッド (Spencer Haywood) :1969-1970
・1970年代 (プレイオフ進出:10回 ファイナル進出:1回)
ラルフ・シンプソン (Ralph Simpson) :1970-1976
ダン・イッセル (Dan Issel) :1975-1985
デヴィッド・トンプソン (David Thompson) :1976-1982
・1980年代 (プレイオフ進出:8回)
T・R・ダン (T.R. Dunn) :1980-1991
アレックス・イングリッシュ (Alex English) :1980-1990
キキ・ヴァンダウェイ (Kiki Vandeweghe) :1980-1984
ラファイエット"ファット”リーバー (Lafayette Lever) :1984-1990
カルヴィン・ナット (Calvin Natt) :1984-1989
マイケル・アダムス (Michael Adams) :1987-1991
・1990年代 (プレイオフ進出:3回)
マクムード・アブドゥル=ラウーフ (Mahmoud Abdul-Rauf) :1990-1996
ディケンベ・ムトンボ (Dikembe Mutombo) :1991-1995
ラフォンゾ・エリス (Laphonso Ellis) :1992-1998
ブライアント・スティス (Bryant Stith) :1992-2000
アントニオ・マクダイス (Antonio McDyess) :1995-1997、1998-2002
ニック・ヴァン・エクセル (Nick Van Exel) :1998-2001
チャンシー・ビラップス (Chauncey Billups) :1999-2000
・2000年代 (プレイオフ進出:4回)
マーカス・キャンビー (Marcus Camby) :2002-2008
ジュワン・ハワード (Juwan Howard) :2002-2003
カーメロ・アンソニー (Carmelo Anthony) :2003-
アール・ボイキンス (Earl Boykins) :2003-2007
アンドレ・ミラー (Andre Miller) :2003-2007
ケニオン・マーティン (Kenyon Martin) :2004-
アレン・アイバーソン (Allen Iverson) :2007-2008
・永久欠番
2 アレックス・イングリッシュ (Alex English)
33 デヴィッド・トンプソン (David Thompson)
40 バイロン・ベック (Byron Beck)
44 ダン・イッセル (Dan Issel)
432 ダグ・モー (Doug Moe) ヘッドコーチとしての勝利数
NBAリーグ
イースタン
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ウエスタン
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