[ 2009年06月10日 ]

フィラデルフィア・セブンティシクサーズ(Philadelphia 76ers)


フィラデルフィア・セブンティシクサーズ(Philadelphia 76ers)は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィアに本拠を置く全米プロバスケットボール協会 (NBA) のチーム。イースタン・カンファレンス、アトランティック・ディビジョン所属。チーム名は1776年にアメリカ独立宣言が、当時の首都であったフィラデルフィアで行われたことに由来する。セブンティシクサーズは略してシクサーズ (Sixers)とも呼ばれる。



<シラキューズ・ナショナルズ>
フィラデルフィア・セブンティシクサーズの歴史は長く、1937年にニューヨーク州シラキューズで設立されたシラキューズ・ナショナルズに遡る。ナショナルズは1946年にプロバスケットボールリーグ NBL (National Basketball League) に参加した。3年間このリーグでプレイしたのちの1949年に破産状態のNBLから離脱し、その年からNBAと名前を変えた BAA (Basketball Association of America) に参加した。

NBAに加わったナショナルズは強豪として初期の数シーズンを過ごした。1948年に入団したドルフ・シェイズや、同年チーム入りし監督も兼ねたアル・サービに率いられたチームは、NBA初年度の1950年と1952年に地区首位の成績を残し、1950年と1954年にはNBAファイナル(決勝)に進出。43勝29敗とリーグ首位タイの記録でレギュラーシーズンを終えたナショナルズは、この年NBAファイナルでフォートウェイン・ピストンズを4勝3敗で破って優勝を果たした。


<フィラデルフィア・セブンティシクサーズ>
その後数シーズンを中堅程度のチームとして過ごしたナショナルズには、中規模の都市シラキューズよりも大きな市場が必要になっていた。1963年、ペンシルベニア州フィラデルフィアに本拠を置いていたフィラデルフィア・ウォリアーズがサンフランシスコへ移転するのと機を同じくしてナショナルズはフィラデルフィアに移転、名をフィラデルフィア・セブンティシクサーズ(シクサーズ)と改めた。「セブンティシクサーズ (76ers)」の名は、フィラデルフィアでアメリカ合衆国の独立宣言が採択された1776年にちなんでつけられた。


<チェンバレン時代の優勝>
当時のシクサーズは、1958年のドラフトで獲得したハル・グリア、1965年にトレードで入団したウィルト・チェンバレンらを中心としており、1966年にはリーグ首位の55勝25敗の成績だったが、プレイオフではこの時代の強豪ボストン・セルティックスに敗退した。そのシリーズ第7戦で、グリアが最後の瞬間に犯したパスミスはよく知られている。

続く1966-67シーズン、アレックス・ハナムがシクサーズの監督に就いた。ハナムはプロ入り以来7年連続で得点王だったチェンバレンの得点を減らす方針を採った。他の選手がより積極的にオフェンスにかかわった結果、シクサーズは当時NBA史上最高の68勝13敗の記録でシーズンを終えた。プレイオフでは同地区の宿敵だったセルティックスを破り、NBAファイナルではサンフランシスコ・ウォリアーズを4勝2敗で下してチーム史上2度目の優勝を果たした。1966-1967年のシクサーズは、1980年に発表された『NBA35周年オールタイムチーム』でNBA史上最も偉大なチームに選ばれた。

チェンバレンは1968年のシーズンを最後にロサンゼルス・レイカーズへ移り、シクサーズの成績は次第に下降していった。1972-73シーズンには9勝73敗にまで落ち込んだ。これは現在でもNBA史上最低勝率タイの記録である。


<アービング、マローンの時代>
1975年、シクサーズはNBAのライバルリーグだったABAのインディアナ・ペイサーズからジョージ・マクギニスを獲得。さらに翌年、ABAからNBAに加盟したニューヨーク・ネッツよりジュリアス・アービングを獲得し、1978年にはドラフトでモーリス・チークスを指名すると、シクサーズは次第に優勝も狙える強豪へと成長していった。
この時代のシクサーズの宿敵は、1960年代と同様ボストン・セルティックスだった。アービング初年度の1977年に、シクサーズはセルティックスを破ってNBAファイナルに進出。ファイナルでは2勝4敗でポートランド・トレイルブレイザーズに敗退した。
1980年代初頭のシクサーズは、毎年60勝前後をマークするリーグ屈指の強豪だったが、あと一歩で優勝を逃す年が相次いだ。1980年にはセルティックスを下してファイナルへ進出、しかし新人マジック・ジョンソンの活躍によりシクサーズは2勝4敗で優勝を逃した。翌1981年のプレイオフではボストン・セルティックスに3勝4敗で敗退。セルティックスはこの年優勝した。続く1982年のプレイオフでは、セルティックスを3勝4敗で破ってNBAファイナルに進出。しかしファイナルではレイカーズに2勝4敗で敗れた。

優勝を目指したシクサーズはさらなる補強に着手し、フリーエージェントのモーゼス・マローンを獲得した。シクサーズはリーグ首位の65勝17敗でレギュラーシーズンを終え、マローンはMVPを受賞した。プレイオフに臨む折り、マローンは「フォー、フォー、フォー (4, 4, 4)」という有名なコメントを残した。これはプレイオフを12勝0敗で優勝するという意味だった。実際は4戦、5戦、4戦と12勝1敗での優勝になったが、これは当時のNBAのプレイオフ史上現在でも最高の勝率となっている。(2001年にロサンゼルス・レイカーズが勝率を更新)1996年に発表された『NBA50周年オールタイムチーム』で偉大なチームに選ばれた。チーム史上3度目の優勝で、これまでのところ最後の優勝となっている。
 バークレーの活躍と低迷期 [編集]
その後のシクサーズは数年間ディビジョン2位の成績を保つが、プレイオフでは勝ち残れなくなっていった。1986年にマローンはトレードされ、1987年にアービングが引退すると、1984年にドラフトされたチャールズ・バークレーがチームの大黒柱になっていった。
バークレーはリーグを代表するフォワードへ成長していったが、チーム成績は次第に低下していき、1989年にプレイオフ出場を逃した。チーム強化に積極的にならないフロントに対し、バークレーは次第に不信感を持つようになり、再びプレイオフ進出ができなかった1992年を最後にバークレーはシクサーズを離れフェニックス・サンズへ移った。
バークレーを失った1990年代のシクサーズは低迷期に入り7年間プレイオフに出場してない。勝ち数は年々減っていき、1996年にはリーグでワースト2位の18勝64敗となった。シーズン後のシクサーズはドラフトで1位指名権を引き当て、アレン・アイバーソンを指名した。


<アイバーソンの時代>
アイバーソンは新人王を受賞する活躍を見せたがチーム成績はリーグの下位をさ迷った。状況が好転し始めるのは、監督にラリー・ブラウンを迎えた1997年以降だった。チームは、スター候補生であったジェリー・スタックハウスやティム・トーマス、デリック・コールマンを放出し、アーロン・マッキーらを獲得。ディフェンシブなチーム作りを行った。ロックアウトで短縮された1999年、アイバーソンは得点王になり、シクサーズは28勝22敗と8年ぶりに勝ち越した。

翌2000年には49勝33敗、続く2001年も開幕10連勝と快進撃は止まらなかった。チームはオールスター後に、怪我の多かったセオ・ラトリフ、トニー・クーコッチ、ナジー・モハメドをトレードに出し、センターのディケンベ・ムトンボを獲得する。ディフェンスはさらに強化され、56勝26敗で東地区首位に立った。このシーズンは、再び得点王になったアイバーソンがMVP、ムトンボがディフェンス王、アーロン・マッキーがシックススマン賞、ブラウンが最優秀監督賞受賞とチームで4冠を獲得した。プレイオフでシクサーズは18年ぶりにNBAファイナルまで勝ち進み、ロサンゼルス・レイカーズと対戦。緒戦は延長の末勝ったが続く4試合を落とし、優勝を逃した。

その後チームは、2001年にドラフトでサミュエル・ダランベアを指名、コールマン、キース・ヴァン・ホーン、グレン・ロビンソンらをトレードで獲得したが、勝率は5割前後を推移した。2003年にはラリー・ブラウンが監督を退き、後任には数人の監督が交替で務めた。2004-05シーズン途中でクリス・ウェバーがトレードでチームに加わり、もう一人のチームの核となった。翌2005-06シーズンからチークスが監督を務め、2004年にドラフトで全体9位指名でシクサーズに入団したアンドレ・イグドラが成長を見せ、チームに大きく貢献している。アイバーソンとイグドラは、二人の頭文字を取ってダブルAIと呼ばれ、バックコートでコンビを組んだ。

05-06終了後にアイバーソン移籍の噂が錯綜。一時は噂が途絶えたが、06-07シーズンが開幕して間もない12月上旬にフロントがアイバーソン放出を明言し、結果が残せなかったチームは再編を迫られることになった。12月19日にデンバー・ナゲッツのアンドレ・ミラーらとのトレードが成立し、アイバーソンの時代は幕を閉じた。また、ウェバーも2007年1月11日に解雇(バイアウト)されデトロイト・ピストンズへ去った。


<イグドラの時代>
その後はイグドラを中心に再建を図っている。2007年の12月4日にずさんな経営で有名だったゼネラルマネージャーのビリー・キングは解任され、後任はニュージャージー・ネッツのGMを務めていたエド・ステファンスキーが就任した。

2年連続プレーオフを逃しチームの長期低迷がささやかれたが、07-08シーズンはベテランのミラーがチームをまとめ、イグドラがリーグ屈指のオールラウンドプレーヤーに成長し勝利に貢献。3年ぶりにプレーオフにカムバックした。

08-09シーズン前にエルトン・ブランドを獲得しチーム躍進が期待された。しかし、シーズンが始まるとチームの歯車がかみ合わず成績が低迷。シーズン途中にHCのモーリス・チークスは解任された。その後、ブランドが故障で離脱、チームはプレーオフ圏外になるかと思われた。しかし、チームはブランド離脱後勢いを取り戻してプレーオフに進出した。

09-10シーズン、現役引退間際だったアイバーソンがチームに復帰。


<年代別主要選手>
太文字…殿堂入り選手 (C)…優勝時に在籍した選手 (M)…在籍時にMVPを獲得した選手 (50)…偉大な50人

1940年代 (プレイオフ進出:1回 ファイナル進出:1回)
ドルフ・シェイズ (Dolph Schayes) :1948-1964 (C)(50)
ポール・サイモア (Paul Seymour) :1949-1960 (C)

・1950年代 (プレイオフ進出:10回 ファイナル進出:2回 優勝:1回)
レッド・ロッチャ (Red Rocha) :1951-1956 (C)
アール・ロイド (Earl Lloyd) :1952-1958 (C)
レッド・カー (Red Kerr) :1954-1963 (C)
ラリー・コステロ (Larry Costello) :1957-1963
ジョージ・ヤードリー (George Yardley) :1959-1960

・1960年代 (プレイオフ進出:10回 ファイナル進出:1回 優勝:1回)
デイブ・ガンビー (Dave Gambee) :1960-1967 (C)
リー・シェーファー (Lee Shaffer) :1961-1964
ハル・グリア (Hal Greer) :1963-1973 (C)(50)
チェット・ウォーカー (Chet Walker) :1963-1969 (C)
ルーク・ジャクソン (Luke Jackson) :1964-1972 (C)
ウィルト・チェンバレン (Wilt Chamberlain) :1965-1968 (C)(M)(50)
ビリー・カニンガム (Billy Cunningham) :1966-1971 (C)(50)
アーチー・クラーク (Archie Clark) :1968-1971

・1970年代 (プレイオフ進出:6回 ファイナル進出:1回)
ベイリー・ハウエル (Bailey Howell) :1970-1971
フレッド・カーター (Fred Carter) :1971-1977
トム・ヴァン・アルスダーレ (Tom Van Arsdale) :1973-1975
ダグ・コリンズ (Doug Collins) :1973-1981
スティーブ・ミックス (Steve Mix) :1973-1981
ワールド・ビー・フリー (World B. Free) :1975-1978
ジョージ・マクギニス (George McGinnis) :1975-1978
ジュリアス・アービング (Julius Erving) :1976-1987 (C)(M)(50)
モーリス・チークス (Maurice Cheeks) :1978-1989 (C)
ボビー・ジョーンズ (Bobby Jones) :1978-1986 (C)

・1980年代 (プレイオフ進出:9回 ファイナル進出:3回 優勝:1回)
アンドリュー・トニー (Andrew Toney) :1980-1988 (C)
モーゼス・マローン (Moses Malone) :1982-1986 (C)(M)、1993-1994 (50)
チャールズ・バークレー (Charles Barkley) :1984-1992 (50)
クリフ・ロビンソン (Cliff Robinson) :1986-1989
ロン・アンダーソン (Ron Anderson) :1988-1993
ハーシー・ホーキンス (Hersey Hawkins) :1988-1993
ジョニー・ドーキンス (Johnny Dawkins) :1989-1994

・1990年代 (プレイオフ進出:3回)
マヌート・ボル (Manute Bol) :1990-1993
ジェフ・ホーナセック (Jeff Hornacek) :1992-1994
クラレンス・ウェザースプーン (Clarence Weatherspoon) :1992-1998
ショーン・ブラッドリー (Shawn Bradley) :1993-1995
デリック・コールマン (Derrick Coleman) :1995-1998、2001-2004
ジェリー・スタックハウス (Jerry Stackhouse) :1995-1998
アレン・アイバーソン (Allen Iverson) :1996-2006、2009 (M)
アーロン・マッキー (Aaron McKie) :1997-2005
テオ・ラトリフ (Theo Ratliff) :1997-2001
ラリー・ヒューズ(Larry Hughes) :1998-2000
エリック・スノウ (Eric Snow) :1998-2004

・2000年代 (プレイオフ進出:5回 ファイナル進出:1回)
トニー・クーコッチ (Toni Kukoc) :2000-2001
ディケンベ・ムトンボ (Dikembe Mutombo) :2001-2002
サミュエル・ダランベア (Samuel Dalembert) :2001-
カイル・コーバー (Kyle Korver) :2003-2007
グレン・ロビンソン (Glenn Robinson) :2003-2004
アンドレ・イグドラ (Andre Iguodala) :2004-
クリス・ウェバー (Chris Webber) :2005-2007
アンドレ・ミラー (Andre Miller) :2007-2009
エルトン・ブランド (Elton Brand) :2008-

・永久欠番
2 モーゼス・マローン (Moses Malone)
6 ジュリアス・アービング (Julius Erving)
10 モーリス・チークス (Maurice Cheeks)
13 ウィルト・チェンバレン (Wilt Chamberlain)
15 ハル・グリアー (Hal Greer)
24 ボビー・ジョーンズ (Bobby Jones)
32 ビリー・カニンガム (Billy Cunningham)
34 チャールズ・バークレー (Charles Barkley)
Microphone - デイブ・ジンコフ (Dave Zinkoff) - チーム専属アナウンサー(彼にはウォリアーズ時代もあった)


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