[ 2010年05月19日 ]

デレック・フィッシャー(Derek Fisher)



デレック・フィッシャー(Derek Lamar Fisher , 1974年8月9日 - )はアメリカ合衆国のバスケットボール選手。アーカンソー州リトルロック出身。アメリカ男子プロバスケットボールリーグNBAのロサンゼルス・レイカーズに所属している。ポジションはポイントガード。185cm、95kg。現NBA選手会会長。



<ロサンゼルス・レイカーズ>
アーカンソー大学リトルロック校でプレイした後、1996年のNBAドラフトでロサンゼルス・レイカーズから1巡目24位指名を受けてNBA入り。ルーキーイヤーの1試合平均出場時間は11.5分に留まり、平均得点は僅か3.9得点に終わり、以降数シーズンは控え選手としての生活が続いた。その間チームは大黒柱のシャキール・オニールに加え、コービー・ブライアントを獲得、名将フィル・ジャクソンの招聘を経てリーグ屈指の強豪となり、2000年には優勝を果たした。翌2000-2001シーズン、フィッシャーは右足の骨折で開幕から60ゲームを欠場してしまうが、シーズン終盤に復帰すると、残り20ゲーム全てで先発に起用され、プレイオフでは1試合平均13.4得点を挙げてチームの連覇に貢献した。翌2001-2002シーズンにはチーム3番目となる11.2得点のアベレージを残し、3ポイントシュート成功率は4割を超えた。チームは3連覇を達成し、フィッシャーはレイカーズ時代に計3つのチャンピオンリングを手に入れることになった。翌2002-2003シーズンのプレイオフはカンファレンスセミファイルでサンアントニオ・スパーズに敗れるが、フィッシャーはプレイオフ期間中フィールドゴール成功率で62%という高い数字を残していた。

翌2003-2004シーズンにレイカーズはゲイリー・ペイトンを獲得、フィッシャーは大物ポイントガードに先発の座を譲った。プレイオフのカンファレンス準決勝では再びスパーズと対戦したが、お互い2勝ずつした状況での第5戦において、フィッシャーのキャリアでのベストショットが生まれた。スパーズのエース、ティム・ダンカンに難しい体勢からのフェイダウェイショットを決められ、残り0.4秒で73-72とリードされた。レイカーズは、3度のタイムアウトの挟んだ後、ペイトンからのインバウンドパスで、ラストショットをフィッシャーに託した。僅か0.4秒の間にボールを受け、振り向きざまにフィッシャーの手から放たれたボールは、試合終了のブザーと共に見事バスケットに収まり、フィッシャーはレイカーズに大逆転勝利をもたらした。その後レイカーズはファイナルまで進出するが、デトロイト・ピストンズに敗れた。このシーズンを最後にレイカーズは解体され、フィッシャーはゴールデンステイト・ウォーリアーズに移籍した。



<ゴールデンステート・ウォリアーズ>
ウォーリアーズでは優勝経験を持つベテランとしての役割が求められたが、最初のシーズン中にチームはスターポイントガードのバロン・デイビスを獲得し、フィッシャーは彼のバックアップに回った。ウォーリアーズでは2シーズンプレイした後、2006年にユタ・ジャズに移籍した。11月にフィッシャーはNBAの選手会会長に就任。この年に変更された公式ボールに対し選手の間から不満が噴出した際には、ボールを以前のものに戻すよう協会に働きかけ、それに成功している。


<ユタ・ジャズ>
新天地のジャズでシューティングガードとしての起用が増えたフィッシャーは、新進気鋭のポイントガードデロン・ウィリアムズと組み、チームの4年ぶりのプレイオフ進出に貢献した。チームは1回戦でヒューストン・ロケッツを破り、カンファレンスセミファイナルにまで駒を進めるが、しかしフィッシャーは網膜芽細胞腫と診断された娘の手術に立ち会うために、チームを離れなければならない状況に追いやられた。古巣のウォーリアーズとの初戦を欠場したフィッシャーはニューヨークで娘の手術の成功を確認した後、飛行機でソルトレイクシティに向かい、すでに第2戦の前半を終えたエナジーソリューションズ・アリーナへと急いだ。フィッシャーを欠いたジャズはウィリアムズとディー・ブラウンしかポイントガードを務められる選手が居なかったが、ウィリアムズはファウルトラブルに陥り、ブラウンはチームメイトとの衝突で怪我を負い、すでにコートから去っていた。この非常事態の中、場内にフィッシャーの到着が伝えられる。フィッシャーはアップもしないままユニフォームに着替えて会場に走った。観客が総立ちで迎える中、コートに立ったフィッシャーはいきなり2アシストでチームの危機を救うと、オーバータイムまで縺れた試合終盤には貴重な3ポイントシュートとフリースロー2本を決め、チームは第2戦をものにした。フィッシャーが会場に現れた瞬間は、この年のプレイオフでも最も印象深いシーンの1つとなった。第4戦、シリーズを決めた第6戦終盤でもフィッシャーは重要な得点をあげ、チームを1998年以来のカンファレンスファイナルに導いた。シーズン終了後、フィッシャーは娘の治療を優先するためジャズに退団を申し入れ、ジャズもこれを受け入れた。フィッシャーは医療施設が充実している大都市でのプレイを求め、ロサンゼルスに本拠地を置くレイカーズに3年1400万ドルという契約内容で4シーズン振りに復帰した。ちなみにジャズとの残り契約は3年2060万ドルだった。



<ロサンゼルス・レイカーズ>
王朝チームが解体されて以降のレイカーズはコービー・ブライアントのワンマンチームとなってしまい、プレーオフでは苦戦を強いられていた。王朝時代の一員とは言え、中堅選手に過ぎないフィッシャーのレイカーズ復帰がチームの戦力を劇的に向上させるとは思われなかったが、2007-08シーズンのレイカーズは開幕から好調な滑り出しを見せ、さらにシーズン中盤には優秀なビッグマン、パウ・ガソルの獲得でレイカーズの戦力は大幅に向上。一気に優勝候補へと返り咲き、プレーオフではファイナルまで勝ち進んだ。

翌2008-09シーズンもレイカーズの快進撃は止まらず、レギュラーシーズンは65勝をあげ、プレーオフも勝ち抜いて2年連続でファイナルに進出した。チームは快調ながら、フィッシャーはバックアップのジョーダン・ファーマーが故障に見舞われたこともあり、シーズンを通して疲労が見られ、また年齢での衰えから特にディフェンスで若い選手相手に苦労する場面が見られた。フィッシャーは王座奪回を目指すレイカーズにおいて弱点になりかねないとまで言われたが、ファイナル第4戦ではそのフィッシャーが試合終盤に3点ビハインドの状況で見事に3Pシュートを決め、チームを危機から救うと共に2004年の0.4秒ショットの再現を披露した。フィッシャーはオーバータイムでも重要な場面で3Pシュートを決めてチームを勝利に導き、その勝負強さを思う存分発揮した。レイカーズはオーランド・マジックを4勝1敗で破り優勝、フィッシャーは4つ目のチャンピオンリングを手に入れることになった。


<プレースタイル>
正確なアウトサイドシュートと安定したゲームメークが持ち味。筋肉質な体つきとは裏腹に決して派手なプレースタイルではないものの、ターンオーバーの少なさやハードなディフェンス、そして苦しい場面で幾度も決めてきたクラッチシュートは経験値の高さと努力の賜物であろう。ドラフト同期であり共に3連覇を経験したエースであるコービー・ブライアントも、フィッシャーには一番の信頼を置いており、マイケル・ジョーダンはその関係をエースの負担を軽減できるブルズ時代の自身とロン・ハーパーの様な存在だと例えている。